情報は力ではない

VimとかC++とかCUDAとか。

遊ぶということ

遊ぶとは

たいそうなタイトルだけれども、自分は遊ぶということに関してはあまりよくわかっていないような気がする。

まず、遊ぶとはなんだろうか。友達と遊ぶことは確かに遊ぶに入るんだろうけど、自分が遊ぶといったときに思いつくのはくだらないプログラム書いたり、くだらなくないプログラム書いたりそんな感じ。

自分の中では、やりたいことを適当な気持ちでやることが遊ぶということなのかな。

最近いつ遊んだ?

この意味でいうところの遊びは最近してないんじゃないかと。

最近の日々は、これこれしなければならない、という感じでせわしなく生活している気がする。

適当な気持ちでいることが難しくなっているなぁ。

心に余裕を持つ必要があるのか、と今考えたのだけれど、この言葉自体が自分に余裕が無いことを物語っている。

なら、どうしよう?

心に余裕が無いのであれば、どうやって余裕を持たせるか。

ちょっと前に読んだ記事にこんなのがあった。

忙しい時は人のために時間を使った方が、心に余裕が生まれるらしい:ライフハッカー

ペンシルバニア大、イェール大、ハーバード大の研究者による4つの実験で、子どもを励ます言葉を書くというような、小さくても人のための行為をした時は、被験者の時間に対する心の余裕が増大しました

だそうです。これに従うのは、心に余裕を持たせる一つの方法。

他の方法としては、運動するとか?そんなことしか思いつかないな。

実際、大学入ってから運動を全くしなくなったので運動をすることは良いと思える(階段上がるのしんどくなってきたしなぁ)。

余裕を持つと遊ぶようになるのか

それはわかんない。よく遊ぶ人は、遊ぶ習慣を持っているのかもしれない。

1年前から本を少しずつ読むようになっていたのを、ふと今思い返した(最近は全くよんでいない)。これは立派な遊びではないのか。もちろん、学業に関係がある本も読んでいたけど全く関係のなさそうな本も読んでいた。これは遊びなんだろう。

ということは、自分にも遊ぶことは出来る。遊ぶということの定義があやふやだが、まあいいだろう。

本は時間に余裕が無いと読めない。確かにそうだった。そうだ、書を読もう!と思っているのだけれど、手に取りそうな本は、途中で読むのを辞めてしまったSICPになりそうだ。

1年とかでもかけて、ゆっくり適当に読み進めていこうかな。途中でmustにならないように気をつけないとなぁ。